キャプテンコラム3月号「これから社会人になる君へ」社員コラムより
これから社会人になる君へ
大事なことはただ一つ。
自分の身体を大切に。
これは社会人になって僕が得た教訓だ。
僕は社会人になるまで、
社会というものをナメていた。
大学生のころは、
飲み会帰りに乗った終電の電車の
くたびれたサラリーマンたちを見下していた。
スーツはくたびれ、疲れからか顔は死んでいて、
降りる駅まで暇だからスマートフォンを眺めて、
この人たちは一体何が楽しくて生きているんだろうかと思っていた。
こういう大人になっちゃいけない。
そう思いながら電車に乗っていた。
「社会人」という単語にも疑問を持っていた。
どうして学校を卒業して働くようになると
「社会人」と呼ばれるようになるのだろう。
ちなみに外国語で「社会人」にあたる語はないとされている。
「worker」はあるがこれは「労働者」だ。
なぜ日本では働く人を単に「労働者」と呼びたがらないのだろう。
法律やニュースでは「労働者」とよく表現されるが、
親や友人から「来年から労働者だね」と言われたことがない。
もしかしたら僕が電車で見たような、くたびれたサラリーマンたちが、
自分たちの疲れやストレスが単純に労働によってもたらされたものではなく、
社会において役割を果たし責任をもって
貢献した結果であると肯定するために、
敢えて「社会人」と呼んでいるのかもしれない。
こういうようなことを思っていた。
つまり、僕は社会をナメていたし、
かなりひねくれた性格を持っていたのだ。
だがそんな僕も結局「社会人」になった。
周りが就活を始めだし、
その影響で将来のことを考えると、
やっぱり働かなくてはならなかったのだ。
正直なところ働くことは簡単だと思っていた。
バイトも上手くこなしていたし、
大学で修士論文の執筆という困難も経験していたからだ。
それに比べたら働くことなんて大したことではないと高をくくっていたのだ。
でも違った。
仕事の目的や方法を覚えることはできても、
それをすぐ実践に移すことも難しかったし、
他者とのコミュニケーション、それも自分の考えとは
正反対の考え方をする人たちとの付き合いなど、
学生のころには経験したことのない困難が立ちはだかった。
それに加えて、ちょっと神経質なところのある僕は
休みの日も仕事のことを考えてしまっていたし、
なんでも一人で完結させようとするから、
だんだんと心に余裕をもつことがなくなっていった。
こういった仕事の仕方では当然長持ちするはずがなく、
持っていた病気が悪化して休職をすることになった。
実はこの休職したタイミングで、
もうこのナレッジシードは辞めようと思っていた。
でも、社長や他の社員の人たちからの声や理解が嬉しくて
退職は踏みとどまることができた。
上原社長からは、
「やりたいことが見つかって仕事を辞めるなら送り出せるけど、
辛くてもう辞めたいというのは会社としても悲しい。
仕事が滞ったりしても、(明光義塾の)教室が一つ潰れたとしても、
あなたが潰れるのは見たくない。だからゆっくり休んで。
後のことは任せておいて」という言葉をいただき、
当時ユーカリが丘教室の教室長だった大川さんは
「大丈夫ですか、仕事に復帰できるのを待っていますね」と言ってくれた。
そういった言葉をもらい、もう少し続けてみようかな、
元気になったらまだやりたいことがあったな、
そう考えてもう一度がんばってみようと決めた。
会社に復帰してからもう一年が経つ。
仕事をしていくなかで得た教訓は、
もっと周りを頼ることや、
もっと謙虚になって他者とかかわることなど多くあるが、
やっぱり身体を大切にすることが一番だと思った。
身体がなければ、一生懸命に働くことも、
日常を楽しく過ごすこともできない。
だからこれから社会人になるあなたに伝えたい。
仕事にはつらいこともあるからこそ、
誰かに助けを求めて、頼って、
自分ひとりだけで解決しようとしないこと。
それが限界に達するともう生活をすることが
難しい身体になってしまうこと。
人は頭だけで思考する生き物ではない。
身体も思考するのだ。
勉強をしないといけないときに
趣味の読書を始めてしまうなど、
頭ではわかっていても身体が動かない。
身体がやりたいことをやって、
あとで自分は一体何をしていたんだろうと思うことがある。
身体を壊すと、
頭では仕事しないといけないとわかっているのに、
朝起き上がれない。
仕事が手につかずぼーっとする。
こういったことが起きる。
これは身体が休みを欲して、
余裕を生み出そうとしているサインだ。
こうなったらしばらくは働くことも、
それ以前に生活することも難しくなってしまう。
だからこそ頭だけで理解しようとするのではなく、
身体の調子も気にしてほしい。
僕が社会人になってもうすぐ2年になる。
仕事の困難を経験したからこそ、
電車に乗るサラリーマンを見る僕の目は、
いまでは少し違っている。
この人たちは心に余裕を持てているんだろうか、
しっかり身体の調子を気にしているだろうか。
ちょっとだけ心配になってしまう。
そして、身体こわさないでね、
今日もおつかれさまです。
そう心の中でつぶやくのだ。