キャプテンコラム10月号「マルチポテンシャルライトのすすめ/社員コラムより」
みなさんは何かずっと続けているものはあるでしょうか。
子供のころからなにか習い事をしていてそれがいまも続いていて、
例えば絵を描いている、ピアノを弾いているなどがあるかもしれません。
私は、何かをずっとやり続けられる人はすごいなと素直に思います。
自分がなかなか長続きしない人間で(ついこの前も、筋トレを毎日やる! と張り切って腕立て伏せを10回始めたら筋肉痛になったのでそれ以来やっていません)、
三日坊主どころか半日坊主で終わってしまうので、
続けることって本当に難しいなと思ってしまいます。
それに、仕事からの帰り道にジムが1軒あるのですが、
窓越しにランニングマシンで走っている人たちを見て、
あの人たちはきっと仕事終わりで疲れてるのに
そこから運動して鍛えてるんだな、
自分だったら家に帰ってゴロゴロしちゃうな、
などとだんだん悲観的になってきてついには
物事を継続している人とそれができない自分を比べて
落ち込んでしまうこともあります。
私たちの生きる社会では、
何か一つのことを継続して極めることは一貫性があって、
それはある種の美徳とされています。
もう10年以上一つの仕事を続けている、
あるいは趣味を続けている、
そういう人は周りから褒められたり賞賛されたりします。
就活をしていても、
これまでの過去の経験から“一貫”した志望動機などを
求められたことはないでしょうか。
だから何も継続してこなかったという自覚のある人は
一貫性を求める社会との間でひどく悩みます。
ですが人間だれしも継続できるとは限りません。
器用な人はうまく適合しようとして一貫性のある自分を演じます。
でもそこにうまく適合できない人は
私のように悲観的に物事を考えてしまうでしょう。
不思議なのは、社会が一貫性を求める一方で
たくさんの興味を引くような面白そうなことであふれていることです。
それだけ選択肢があるということなのですが、
押し寄せる選択肢の波から一つの波にだけ乗れというのは無理難題。
バイキングで好きな食べ物一つしか食べられませんと言われて
そんなことができるでしょうか。
好奇心が強いゆえに様々な選択肢を選んでしまう。
バイキングであれば、食いしん坊だね、などと微笑ましく済まされますが、
仕事や趣味になると途端に周囲の態度は変わってしまう。
飽きっぽいね、すぐやめるんだね、
また違うことしてるのか、などなど。否定的な言葉が並びます。
だれもが聞かれたことのある「将来の夢」ですら、
一つの回答を求められます。
Q. 将来の夢は?
A. 警察官になって人を助けること
これは合格。
Q. 将来の夢は?
A. 警察官をしながらパティシエとしてケーキを作って、タレントとしても活躍したい
不合格の回答。
子供の夢であっても一つでなければ
大人たちから怪訝な顔をされ、
ときには心配されもします。
一貫性が求められる社会だからこそ
好奇心の強さはときに枷になることがある。
個性もそうで、
昨日の自分が今日も明日も同じ自分であることが信じられている風潮はあるし、
ずっと変わらない「自分らしさ」とか
「自分にしかないもの」があると思い込んでいる人はいる。
でも人は生まれたときから死ぬまで一貫して
同じ考え方や感じ方を持っているわけではありません。
河に流れている水がずっと同じではないように、
水に浮かぶ泡が消えてはまた浮かぶように、
人の一生も移り行くものなのだ、と鴨長明も言っているし、
“変わらない自分”というものはない、と養老孟司も言っている。
だから非一貫的な自分がおかしいわけではないのだとわかる。
だけどわかってはいても、
やっぱり世間的には一貫性を求められる。
そして悩むの永遠ループ。
こういうふうに悶々としていると、
「マルチポテンシャライト」という言葉を見つけました。
何年か前にTEDトークで話題になったので知っている人も多いかもしれません。
↓TEDトークの動画のURLです↓
https://www.youtube.com/watch?v=QJORi5VO1F8
マルチポテンシャライトの本も出版されています。